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ホームストーリー百物語_壱第73話
第73話
夜の百物語

三度目だけは橋を渡るな

第73話 / 100話まであと27話

2026/8/6約4分で読めます

「同じ橋を一日に三度渡るな。」

祖父は酒を飲むたび、その話をした。

理由を尋ねても、 「帰ってこられなくなるからだ」 としか言わない。

子どもの頃は怖かったが、大人になるにつれ、そんな言い伝えも笑い話になっていた。

盆休みに久しぶりに故郷へ戻った私は、祖父が亡くなったことを知る。

葬儀を終え、翌日には町へ帰る予定だった。

村外れには一本の古い石橋がある。

川幅は狭く、今では新しい道路もできているため、利用する人はほとんどいない。

朝、散歩がてら橋を渡り、向こう岸の墓へ祖父に手を合わせた。

これが一度目だった。

昼頃、親戚から忘れ物を頼まれ、近道だからとまた橋を渡る。

二度目。

そのとき、橋の中央で誰かが私の名を呼んだ気がした。

振り返っても誰もいない。

風もないのに、川面だけが細かく揺れていた。

「気のせいだ。」

そう自分に言い聞かせた。

夕方。

町へ戻るため荷物を車へ積み込んでいると、財布が見当たらない。

思い返すと、墓前で線香をあげたときに落とした気がした。

急いで橋へ向かう。

橋の手前で、近所のおばあさんとすれ違った。

「あんた、今日は何回橋を渡った?」

突然そう聞かれた。

「二回です。」

答えた瞬間、おばあさんの表情が曇る。

「なら今日はやめな。」

意味が分からず笑うと、おばあさんはそれ以上何も言わなかった。

財布くらい、すぐ取って帰ればいい。

そう思って橋を渡った。

三度目だった。

橋の中央に差しかかったとき、水音が止んだ。

いや。

止んだのではない。

周囲の音がすべて消えた。

風も虫も鳥も。

世界が静まり返っている。

その静寂の中で、後ろから祖父の声が聞こえた。

「振り向くな。」

胸が締めつけられる。

祖父はもう、この世にいない。

それでも声は、子どもの頃と同じ優しさだった。

私は前だけを見て歩いた。

あと数歩で橋を渡り切る。

そのときだった。

今度は母の声がした。

「財布、ここにあるよ。」

続いて友人、先生、小学生の頃の同級生。

懐かしい声が次々に聞こえる。

最後に、小さな女の子の声。

「どうして帰るの?」

思わず足が止まった。

橋の欄干に、小さな手が並んでいた。

何本も。

水の中から。

必死に橋へしがみつく白い手。

そのどれもが、私を招くように揺れている。

祖父の声がもう一度響いた。

「歩け。」

私は目を閉じ、一気に駆け抜けた。

橋を渡り切ると、風が吹き、虫の声が戻る。

財布は墓石の前に落ちていた。

帰宅後、祖父の遺品を整理していると、一冊の古い帳面が見つかった。

村の言い伝えを書き留めたものらしい。

その最後のページには、こう記されていた。

橋は人を渡すためにある。 だが年に何度か、 向こうがこちらへ渡ってくる日がある。 三度目は、人ではなくなる。

私は二度と、その橋へ近づいていない。

けれど盆になると毎年、知らない番号から一本だけ留守番電話が入る。

雑音の奥で、祖父の声が聞こえる。

「今年も、渡るな。」

※本作は創作です。

#創作怪談#百物語#怪談#伝承#言伝え#夏の怪談#和風ホラー

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