粘土に手を沈めた瞬間、内側から指を握り返された。反射的に手を抜くと、灰白色の土は作業台の上で鈍く潰れているだけだった。表面には私の指跡しかない。それでも掌には、細い指が一本ずつ絡んできた感触が残っていた。土は朝、陶房の軒下で雨除けの板にもたせかけてあったものだ。乾く前に戻しておこうと、私が勝手に運び込んだ。
私は山あいの小さな集落にある陶房で、器の成形を手伝っていた。九月になると窓から乾いた風が入り、棚には素焼き前の湯呑みや鉢が淡い灰色で並ぶ。親方と先輩二人、見習いの私だけの静かな仕事場だった。その地方では土を寝かせる場所まで細かく決まっていたが、私は職人の経験則だと思っていた。昼になると湯を沸かし、皆で欠けた器を使って茶を飲む。それがいつもの休憩だった。
その日、親方は私が戻した粘土を見るなり、珍しく声を荒らげた。「軒下の土、触ったのか」。事情を話すと、親方は練り台に手を置かず、湿った塊をじっと見た。昔から最初に秋の雨を吸った土は、一晩だけ軒下へ置き、翌朝そのまま土場へ返すのだという。「土の客が顔を借りる。人の手で練ったら、帰る形がなくなる」。先輩は迷信だと笑ったが、親方は笑わなかった。
処分することになり、私は木べらで粘土を桶へ移した。すると切断面から、押し潰された唇のような筋が現れた。顔そのものではない。柔らかな土の奥で、何かが口を開こうとしているようだった。次の瞬間、工房いっぱいに雨上がりの地面の匂いが満ちた。晴れた午後なのに、私の耳元だけで泥を踏む音がする。先輩が「お前、口どうした」と言った。顎が痺れ、舌には生の粘土の味が広がっていた。
親方は作業を止め、桶を抱えて外の土場へ運べと言った。私は両手で持ち上げたが、底から指先で撫でられる感触が伝わり、思わず桶を落とした。粘土は床へ広がらず、ひとかたまりのまま私の靴へ寄りかかった。表面がゆっくり窪み、鼻筋、頬、閉じた瞼らしい起伏を作っていく。それは私の顔に似ていた。親方は私を後ろへ突き飛ばし、「見るな。まだ借り切ってない」と怒鳴った。
私たちは粘土を厚い板に載せて土場まで運んだ。ところが戸口を越えた途端、塊の表面から二本の腕のようなものが盛り上がり、板を掴んだ。人間の腕ほど長くない。肘もなく、濡れた土を引き延ばした形なのに、指だけが妙に細かく動いた。その指が私の頬へ触れた瞬間、視界が低く沈み、自分の顔が遠くからこちらを見ているように感じた。親方が板ごと地面へ伏せると、土の腕は音もなく崩れた。
親方は土場の地面を浅く掘り、その塊を成形せずに埋め戻した。陶房へ戻った私は鏡こそ見なかったものの、水を飲んでも頬の感覚が戻らず、笑おうとすると口元だけが遅れて動く気がした。その日は窯にも火を入れず、作りかけの器を布で覆った。帰り際、親方は古い決まりには理由を付け足さない方がいい、とだけ言った。「客が誰かまで知ろうとすると、今度はこちらが顔を覚えることになる」そう続けた。
数日後、頬の痺れは消え、陶房も普段通りになった。私は軒下の土には触れない。だが休憩中、先輩が私の湯呑みを見て手を止めた。以前から使っていた無地の器なのに、外側の柔らかな釉薬の下へ、人の頬を内側から押しつけたような浅い膨らみができていた。親方はそれを割らず、黙って土場へ持っていった。翌朝、空になった私の棚には、誰かが濡れた頬を当てたような土の跡だけが残っていた。
※本作は創作怪談です。
