粘土の塊が、練り台の下でゆっくり膨らんだ。空気が抜けただけだと思った直後、灰色の表面に五本のくぼみが浮かんだ。外から握った跡ではない。中に埋まった手が、こちらへ押し出しているような形だった。美術準備室で片づけをしていた実習助手の佐和は、持っていた木べらを落とし、その音でようやく自分が息を止めていたことに気づいた。
佐和の仕事は、架空の県立高校で美術授業の準備を手伝うことだった。放課後は生徒の作品を棚へ移し、乾燥を防ぐため余った粘土を回収する。硬くなった粘土は水で戻し、布の上で乾かしてから練り直す。窓の外では運動部の掛け声が続き、美術室には西日の橙色と石膏の白い粉が浮いている。いつもなら、泥臭さまで含めて落ち着く時間だった。
その日、回収桶から出した粘土だけが妙に生温かかった。水に漬けてあったからだろうと、佐和は布越しに押して水気を確かめた。すると手を離した場所から、浅い筋がすっと伸びた。ミミズでも入り込んだのかと粘土を割ってみたが、中には何もない。気味は悪かったものの、授業で誰かが糸や紙を混ぜた可能性もある。佐和はその部分だけ別の板へ載せた。
洗い場へ道具を運んでいると、背後から湿ったものを練る音がした。振り返ると誰もいない。ただ、先ほど板へ置いた粘土が机の縁まで伸び、垂れた先端を床へつけていた。重みで崩れた形ではなく、肘をついて身体を引き寄せたような折れ方だった。そこへ顧問が入ってきて「床、誰か歩いた?」と尋ねた。灰色の泥跡が、机から準備室の入口へ続いていた。
佐和は顧問と二人で粘土を厚い袋へ入れ、屋外の資材庫へ運ぶことにした。ところが袋を持ち上げた瞬間、中から握り返すような圧力が手のひらにかかった。佐和は袋を落とした。床にぶつかった粘土は潰れず、布越しの人間の肩のように盛り上がった。顧問もそれを見て黙った。二人は美術室を施錠し、管理職へは配管の点検が必要だとだけ伝えて、その日は部屋を閉めた。
廊下へ出た佐和の右手首に、冷たい指が巻きついた。見下ろしても何もない。だが皮膚には湿った灰色が五本、くっきり付いていた。次の瞬間、施錠した扉の内側で練り台が激しく軋んだ。小窓を見ると、床の粘土が腰ほどの高さまで立ち上がり、人の胴に似た形で机へもたれている。顔のある位置だけは平らだった。その平面へ、内側から何本もの指先が押し当てられ、佐和のいる方向へ一斉に窪んだ。
二人は職員室まで走り、その夜は美術室へ戻らなかった。翌朝、用務担当者と確認すると、粘土は乾いた塊になって練り台の上に残っていた。床の泥跡も消えていた。ただし台の木目には、濡れた粘土を強く押しつけたような掌形の染みが、板の裏側から浮いていた。学校は再生粘土をすべて処分し、佐和もしばらく新品だけを授業へ出すことにした。手首の灰色は洗えば落ちた。
数週間後、佐和は一年生の授業で、新しい粘土の袋を配っていた。ある生徒が「先生、これ柔らかすぎる」と笑い、丸めた塊を差し出した。触る前に佐和は手を止めた。生徒の指跡とは反対側から、粘土の表面が静かに持ち上がったからだ。まだ誰も形を作っていない。その丸い塊には、耳を押し当てるためのような浅い窪みができていた。生徒が覗き込むと、中から小さく、机を練る音がした。
※本作は創作怪談です。
