サンダーが柱の鉛筆線をひと筋消した途端、父が低い声で尋ねた。「ミイって、誰だったかな」。それは七歳まで家族だけが使っていた、私の呼び名だった。兄が機械を止めると、午後二時の居間に木粉がゆっくり落ちた。父は冗談を言った顔ではない。削れた部分を指でなぞり、初めて見る傷のように首を傾げていた。
その土曜日、私たちは売却の決まった実家を片づけていた。母が亡くなってから一人で暮らしていた父が、駅に近い小さな部屋へ移ることになったのだ。柱には私と兄の背丈が、幼稚園から中学まで鉛筆で刻まれていた。母が日付を書き、父が定規を当てる。夕食前の明るい台所で繰り返された、怖さとは無縁の家族行事だった。
父は疲れているだけだと兄は笑い、再びサンダーを当てた。次に消えたのは、兄が九歳の夏につけた線だった。直後、兄は床に置かれた古い写真を拾い、腕に白いギプスをした自分を見て眉を寄せた。「これ、いつ折ったんだ?」。川原で転び、家族全員で救急外来へ行った日の写真だ。兄自身が何度も話してきた出来事なのに、声には本物の戸惑いがあった。
私は電源を抜き、柱の削れていない線をスマートフォンで一つずつ撮った。試しに父へ、線の横に残る日付だけを見せる。線がある年の誕生日は答えられたが、消えた年については、家族旅行も運動会も思い出せない。アルバムの写真は変わらず残っている。それでも父と兄の中では、削った高さに結びつく一年だけが、きれいに空白になっていた。
柱を外して持ち帰ろうと、兄と壁際の化粧板を外した。裏側には表より古い鉛筆線が何本もあり、その一本に父の幼い名前が添えられていた。父はこの家で育っていない。問い詰めると、祖父が建て替え前の家から柱だけ移したらしい、と曖昧に答えた。そのすぐ上には今日の日付と、今の父の肩の高さに引かれた、まだ黒々とした線があった。
触るなと言うより早く、兄が浮いた木片を払った。黒い線が薄皮ごと剥がれ、私の手のひらへ落ちる。父は一歩退き、私と兄を交互に見た。「すみません、家の方を呼んでもらえますか」。兄まで父を片づけ業者だと思い、玄関へ案内しようとした。その瞬間、握った木片から、夕食を告げる母の声や、父の笑い声が、何十年分も重なって聞こえた。
私は木片を元の場所へ押し当て、梱包用の透明テープで柱ごと巻いた。声は止まり、父は膝をついて私たちの名を呼んだ。兄も父の肩をつかんだが、二人とも、ほんの数分のことを覚えていなかった。柱は処分せず、壁から慎重に外した。ただ父は帰り際、木粉の積もった床を見て、「母さんはまだ七歳なのに、ずいぶん背が高いな」と小さく笑った。
三か月後、柱は私の家の納戸に立ててある。透明な保護板を付け、娘にも触れないよう言い聞かせていた。ところが今朝、七歳の娘が「測って」と私をそこへ連れていった。保護板の内側に、昨夜まではなかった鉛筆線が一本増えている。娘の頭より高いその線には、私の幼い呼び名と次の土曜日の日付があった。娘はそれを見て、「今度はお母さんが七歳になる番だね」と言った。
※本作は創作怪談です。
