最後に決めたのが、立川志の春さんだった。
ここは、少し異質に見えるかもしれない。
怪談ライブに、落語家。
普通に考えれば、
同じジャンルで揃えた方が分かりやすい。
実際、その方が“それっぽく”なる。
それでも、あえて外した。
理由はシンプルだ。
——怪談だけでは、持たないと思った
怖い話は強い。
引き込む力もあるし、
印象にも残る。
ただ、それが続くとどうなるか。
慣れる。
集中が切れる。
単調になる。
ライブは流れでできている。
一つひとつの質ではなく、
“体験としてどう成立するか”
そこを考えたときに、
変化が必要だった。
そこで考えたのが、落語だった。
怪談ではない。
でも、“語る”という意味では同じ土俵にある。
むしろ、その技術に関して言えば、
長い時間をかけて磨かれてきた伝統の集積だ。
言葉だけで情景をつくる。
一人で複数の人物を演じ分ける。
間と空気で笑いも緊張もコントロールする。
それを極限まで突き詰めたのが、落語という文化だ。
——“語り”の極み
そう言ってもいいと思う。
今回の企画は、
単なる怪談イベントではない。
百物語という文脈の中で、
“物語を扱う”企画だ。
怪談も物語。
落語も物語。
その両方を同じ場に置くことで、
見え方が変わる。
怖さだけではなく、
“語りそのものの価値”に意識が向く。
ただ怖いだけで終わらない。
聞く体験そのものが、変わる。
それを狙った。
もう一つは、
“緩急”をつくることだった。
怪談で張り詰めた空気を、
一度ほどく。
そして、また戻す。
この波があることで、
後半がより効く。
結果として、
全体の体験が引き締まる。
分かりやすい構成ではない。
でも、成立すれば強い。
今回の選定は、
ずっと同じ考え方で組んでいる。
単体の強さではなく、
全体として成立するか。
その中で、
この人は明確に役割があった。
だから入れた。
結果として、
今回の出演者が揃った。
それぞれ違う。
でも、全部必要だった。
ここまで来て、ようやく一つの形になる。
あとは、どうなるか。
それは、現場でしか分からない。
