水曜日の午後五時二十分、施錠前の三年二組をのぞいた私は、三十二台の机が少しずつ後ろを向いているのに気づいた。整列していたはずなのに、どの天板も教室後方の壁へ扇形に傾いている。黒板には黄色いチョークで短い矢印が引かれ、何も置かれていない床の四角い艶を指していた。廊下に生徒の姿はなく、乾いたワックスの匂いだけが教室から流れてきた。
私はその学校で、校舎の戸締まりや備品点検を担当している。九月最初の水曜日は、夏休みに塗り直した床を確認する日だった。放課後は吹奏楽部の音が遠くで途切れ、用務員室の冷蔵庫が低く唸る。各教室の机を三十二台ずつ数え、窓の鍵を確かめ、点検票に印をつける。三年二組も午後四時には担任と整列させたばかりで、普段なら五分とかからない仕事だった。
机を前へ向け直しながら数えると、三十三台あった。最後の一台だけ天板に傷がなく、脚のゴムも新しい。備品倉庫から予備を運び込んだのだろうと思い、廊下へ出そうと持ち上げたが、見た目に反して妙に重かった。床へ戻すと、四本の脚が同時ではなく、トン、トン、トン、トンと一つずつ着いた。中に文具でも入っているのかと引き出しを開けたが、白いチョークの粉が薄く積もっているだけだった。
予備机を教室後方へ寄せ、隣の教室を点検してから戻ると、それは黒板前の艶のある四角へ移っていた。誰かが隠れている気配はない。窓も廊下側の扉も閉じたままだった。しかも直したはずの三十二台は、また少しずつその机を向いている。蛍光灯が一本消え、室温が急に下がった。静かな教室で、椅子を引くような音だけが一拍遅れて響き、矢印の先端から黄色い粉が新しくこぼれた。
私はいたずらでは済ませられないと思い、点検票の座席配置と実物を照合した。紙には縦八列、横四列の三十二台しかない。余分な机の脚へ赤い養生テープを巻き、廊下に出て扉を施錠した。職員室の副校長へ知らせようと歩き出したものの、背後で机を引きずる音がした。振り返ると、扉の細い窓から赤いテープが見えた。机は廊下へ出ていない。それなのに窓のすぐ向こうまで近づいていた。
鍵を開けずに窓から確かめると、余分な机の上に私の点検用クリップボードが載っていた。手元にあるはずのものを見下ろすと、挟んでいた紙だけが消えている。教室側の点検票には、三年二組の欄へ赤い印がつき、確認時刻として「十八時四十分」と記されていた。まだ午後五時四十七分だった。次の瞬間、三十二脚の椅子が順番に引かれ、誰もいない席の間に一本の通路ができた。その先で、赤いテープの机の椅子だけが静かにこちらを向いた。
私は鍵束を落とし、職員室まで走った。副校長と警備担当者を連れて戻ると、教室には三十二台しかなく、机はすべて黒板を向いていた。黄色い矢印も消されていたが、ワックスの艶には余分な四本の脚跡が深く残っていた。点検票は見つからず、私のクリップボードには白紙が一枚挟まっていた。その夜は二人で校舎を見回り、三年二組を立入禁止にした。十八時四十分になっても、教室から音はしなかった。
翌週から、その教室の点検は二人一組に変更された。次の水曜日、午後五時二十分に用務員室の端末へ作業完了の通知が届いた。送信者は私、記録時刻は十八時四十分。添付画像には三十三台の机が整然と並び、開いた扉の前に、鍵束を持つ私の後ろ姿が写っていた。画像は教室後方の低い位置から撮られている。最前列の机だけが空いており、その天板には、赤い養生テープを巻いた鍵が置かれていた。
※本作は創作怪談です。
